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純文学

日記

2014年2月12日 (水)

今浦島

 10年以上も会っていなかった母方の一番下の叔父に会った。

 13歳しか年が違わない叔父は11年の歳月を感じさせないほど変わっていなかった。

 不肖の姪はまったく誰とも連絡を取っていなかったので、

 叔父が訪ねて来てくれた時は驚き「えー?何で?」と声を上げてしまった。

 この間、虫垂炎の手術をした話をしたら呆れられてしまった。

 昔から私は事後報告しかしなかったので、そんなものだと思ってくれているだろうが。

 11年前につまらない事件に巻き込まれてしまい、

 弟や叔父や友人たちにも迷惑をかけてしまったので、

 もう縁を切られてしまってもいいや・・と思っていたのだ。

 多分、今回、叔父が探し出してくれなければ私からは連絡は取らなかっただろう。

 従兄弟や他の叔父や叔母の近況を聞いた。

 10年一昔と言うが、さすがに10年以上経てばちょっとした今浦島である。

 一番歳の近い従姉妹にはもう孫が二人もいるそうだ。

 母が亡くなって24年、父が亡くなって14年。

 両親が亡くなれば次第と叔父や叔母とは行き来が少なくなると思うが、

 考えてみれば車で30分以内の場所に住んでいるのだ。

 今は手術後で父や母の眠る霊園墓地の階段がきついので、

 2月の4日の父の命日に墓参できなかったが、叔父夫婦は行ってくれたそうだ。

 話のついでに叔父がブログをやっていると言うので覗いて、コメントしたら、

 お返しに前回の記事にコメントをくれた。

 若かった父が母が、一番可愛がっていたのがこの叔父である。

 そして私が小学生の頃、初めて車に乗せてくれたのも・・。

 

 

2014年2月 7日 (金)

さらば、虫垂炎 あとがき

 子供の頃から「あんたほど無鉄砲な子はいない」と母に叱られていた。

 怖いものなしと言うか、いや本当は小心者なので強がっているだけなのだが、

 子供の頃でさえ、そんな性格だったのだから、

 両親が亡くなり弟と別れ、離婚をしてからは、

 その性格にますます拍車がかかり、

 誰かに相談するとか、誰かに頼るなんてことができなくなってしまった。

 実は、病院を出たい一心でついた嘘が自分の首を絞めることになった。

 排便が一週間以上なくて腹痛と微熱が続いたのだ。

 仕方なく私は生まれて初めて下剤を使うことにしたのだが、

 そのせいで、めちゃくちゃお腹が痛くなってしまった。

 また帰って来たその日から掃除はするわ、ゴミ出しはするわ、

 いつも通りに動いたせいで、傷口が開いたんじゃないかと思う痛みもあった。

 まったくの考えなしである。

 今はもう寝返りを打つ時にのたうち回ることもなくなったし、

 重いものを持つときにちょっと痛むぐらいで、何とか買い物にも行けるし、

 拭き掃除だってできるくらいに回復した。

 猫も私が入院していた時によっぽどお腹が空いて懲りたのか、

 餌が入っていない・・・と呼びに来るようになった。

 今の時代、たかが虫垂炎の手術ぐらいで死ぬようなことはないとは思ったが、

 世の中には「まさか・・」と思うようなことが転がっている。

 というわけで、もしも帰って来られないことも想定して色んなことを片付けた。

 義妹には手術のことも言っていないので、一応、手紙を書いたのだが、

 無事に帰って来たので手紙は出していないし、電話もしていない。

 弟がいたらどうだっただろう?私はちゃんと自分のことを話しただろうか?

 体でも心でも自分が弱っている時に限って私は一人でいたいと思うので、

 たとえ、血のつながった弟にも言わなかったかも知れない。

 厄介な性格だなあ・・と自分でも思うが、性格ならば仕方がないだろう。

 そして、私は自分のその厄介なところが好きだったりする。

 自分勝手で我がままで、そのくせナイーブで傷つきやすい。

 知識はあっても道理がわからないから、非常識だと思われたりする。

 自分の考えは正しいと思ってはいるが、それを説明しようとはそんなに思わない。

 大きな目標があるのに、変なところで欲はなく、

 せっかく手に入れたものを簡単に手放したりする。

 そんな厄介な性格の私は14年前に自殺を図り、その結果、家族も友人も失くした。

 三日間、眠り続けてこの世に戻ってきたのに、

 「よかった、生きていてくれて」と言ってくれる人は一人もいなかったのだ。

 けれど、今回入院して帰って来たら、

 たくさんの人が「おかえり」「よかった」と喜んでくれた。

 まさか、五十も半ばになって友達が出来るとは思っていなかったので、

 素直に私は喜んでいる。

 そして、せっかく頭頂部に500円玉大のハゲができるほど

 痛い目に遭ったのだから、入院生活も含めて全部、小説のネタにしようと思った。

 転んでもタダ起きないのが私の唯一の取り柄なのだから。

  2016年5月3日 追記

 よく検索で虫垂炎手術のワードでブログを訪れてくださる方がいらっしゃる。

 多分、これから手術を受けられる方なのだと思う。

 盲腸の手術はアッという間に終わったから何も心配要らないけれど、

 無理をすると私のように後で苦しむことになるので、

 ちゃんと養生してくださいね。じゃあ、頑張って!

                     虫垂炎の手術を受けた先輩より

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2014年2月 6日 (木)

さらば、虫垂炎 その5 退院

 入院して四日目、手術を受けた朝に日の出を見た病室で目を覚ました。

 生憎と天気が悪く小雨が降っていて遠くに見える海の色も冴えなかった。

 朝食の時間までは未だしばらくあったので、ベッドから降りて廊下に出た。

 前日よりはかなり痛みがマシになっているのがわかる。

 ナースステーションを取り囲むように病室が並んでいる。

 デイルームに行き、温かいお茶を買い、そこに並んだ本を眺めてから、

 また廊下をぐるぐると歩き回った。

 大部屋にもトイレはついているが他の人に遠慮して私は廊下の端にあるトイレに入る。

 それからまた部屋に戻り、ベッドに腰掛けて朝食の膳が運ばれて来るのを待った。

 一人ずつ名前を呼びながら朝食が運ばれてきたが、やはり食欲はない。

 それでも、無理に食べようと思う。早く退院したい一心だった。

 ご飯を三分の一と酢の物をお茶で流し込むようにして食べた。

 それと牛乳を半分、ヨーグルトを一口。

 朝食が終わると執刀医がやって来た。

 「お腹を見せてください」と言われてスウェットの裾を捲る。

 聴診器をあてながら医師は「いいですね」と言い、貼ってあった絆創膏を剥がした。

 それで自分の体の傷口を見た。左の腹に縫った跡が二箇所、

 へその周りは結構縫った跡があり、糸は黒い。

 医師が剥がした絆創膏の下には細いテープみたいな絆創膏が貼ってあった。

 「もう退院してもいいですよ」そう言われて嬉しくなる。

 「ほんとですか?」と訊くと、「今日でも明日でも」という答えが帰って来た。

 「後で来る看護師に決まったら言っておいてくださいね」

 「はい」とまるで小学生のように答える。

 「切った部位を病理検査に出してあるので来週の金曜日にはわかります」

 金曜日の予約時間を決めると医師は出て行った。

 その後、血圧と体温を図りに来た看護師に、昼から退院する旨を伝えた。

 「排便はありましたか?」そう訊かれて、私は咄嗟に嘘をついてしまった。

 本当は未だなのに「はい」と答えてしまったのだ。

 それで昼食を食べてから退院することになり、

 病室に請求書が届いたら帰ってもいいことになった。

 やがて昼になり、昼食の膳が届いた。

 メニューは親子丼とすまし汁、酢の物にみかんゼリー。

 相変わらず食欲はなかったが、親子丼の鶏肉と卵の部分だけを食べた。

 それから帰る準備に取り掛かった。

 洗面道具や、本や原稿用紙を紙袋に突っ込む。

 入院中は10枚ほどしか書けなかったが、覚書のようなものを作っていた。

 もちろん、小説のネタである。

 請求書が届けられて金額を見たら前もって高額療養の手続きを取ってあったせいか

 十万円以下だった。テレビからカードを引き抜き、精算したら、

 1000円のカードの残金は870円だった。

 痛くてテレビを見るどころではなかったのだ。

 会計に行き入院費用を精算して駐車場に急ぐ、

 車に乗ってバックするとき、体を捻るから痛みが来るかと懸念していたが、

 そんなに痛くはなかった。駐車料金は3000円。

 家から病院までタクシーで往復すれば5000円以上かかるので、

 車で来て正解だと思った。

 それから真っ直ぐに家に帰った。

 帰ったら、猫たちが玄関で揃って座っていた。

 見ると痩せて三分の二くらいの細さになっている。

 水はキッチンと洗面台の二箇所から少しずつ出るように細工してあったのだが、

 どうやら、我が家の猫たちはお行儀がいいのか、おバカなのか、

 袋の口を開けてあったにもかかわらず餌を食べなかったようだった。

 「もう・・せっかく用意して行ったのに・・」と独り言をいい、

 入れ物に餌を入れたら競うように食べ始めた。

 そして、留守の間に猫たちが汚したものを片付けようとして、

 腕まくりをしたら、私の右の手首にはバーコードがついたバンドがついたままだった。

 慌てて帰って来たので、外してもらうのを忘れていたのだ。

 こうして、私は五年間も苦しめられていた虫垂炎に別れを告げたのだった。

2014年2月 5日 (水)

さらば、虫垂炎 その4 手術翌日

 急激な痛みに襲われて目が覚めた。

 窓の外は未だ暗いが、ナースステーションの明かりがドアの小窓から漏れている。

 寝返りを打とうとするがまったく体が動かない。

 リモコンでリグライニングを起こそうとするが、手を伸ばしても届かない。

 右を向こうとしても左に向こうとしても動けなかった。

 私はベッドの上で手足をバタバタさせ、ナースコールのボタンを押そうとした。

 その時だった。「どうかしましたか?」と夜勤の看護師が入って来た。

 心電図の異常に気がついて助けに来てくれたのだ。

 手を借りて少しずつ体をずらして横に向く。

 背もたれを少し起こしてもらうと、ようやく呼吸が楽になった。

 枕も何もかもがベッドの下に落ちていた。

 痛み止めの注射をしてもらい、また少しまどろんだと思ったら、朝だった。

 八時になって朝食を運んで来てくれたので、蓋を開けたが、

 まったく食欲がなく、牛乳を半分だけ飲んだ。

 それでも心電図と酸素吸入器を外してもらい、

 血圧と体温を図った後で元居た大部屋にベッドごと運ばれる。

 担当医がやって来て、傷口を見た後で、

 「もうこれで点滴は終わりますからね」と言ってもらい、

 ようやく、前開きの浴衣からパジャマに着替えられるのだと思いホッとする。

 昼から点滴の針を抜いてから体を拭いてもらいサッパリして、

 スウェットの上下に着替えた。

 それからは自由に歩けるようになったので

 外科病棟である9階の廊下をぐるぐる回った。

 三回ほど端から端まで歩き、お腹が痛くなるとベッドで横になり休憩し、

 またナースステーションの周りの廊下を歩く。

 そうこうしている間に夕食の時間になり膳が運ばれて来る。

 朝は牛乳を半分、昼はみかんゼリーだけ、

 さすがに歩いたから夕食は食べられるかと思ったが、やっぱり喉を通らない。

 私は三泊四日で退院するつもりで猫の餌の用意をしてきたから、

 入院期間を延ばすことが出来なかった。

 けれど、院内を歩くだけでお腹は痛くなるし、食事も出来ないとなると、

 予定通りに退院できるかどうか不安になった。

 取り敢えず体を動かせて腸の運動を促すしかない。

 いつもは歩くことさえしない運動不足なのに、ずいぶん勝手なものである。

 私は消灯時間ギリギリまで闇雲に歩き回り、手術の翌日はそれで終わったのだった。

                                                   続く

 

 

 

2014年2月 4日 (火)

さらば、虫垂炎 その3 手術当日・後編

 耳元で声が聞こえた。

 「大きく深呼吸してください、今から部屋に戻りますからね」

 ガラガラとベッドが動き始め、エレベーターに乗ったのがわかる。

 手術後の部屋は個室で、ナースステーションの真ん前だった。

 「大丈夫ですか?」訊かれて頷く。けれど、頭は朦朧としていた。

 「高熱が出てるので座薬を入れますね」それにも黙って頷く。

 麻酔が切れたので痛みが酷い。手術が終わるとすぐに目が覚めるようになっていた。

 腕には点滴の針、胸にはポータブルの心電図、そして顔には酸素マスク。

 時間の感覚はないが、「十二時になったら水を飲んでもいいですからね」

 と、言われた。とにかく、お腹が痛い。今までに味わったことのない痛みだった。

 虫垂炎の発作の時もかなり痛いが、吐き気の方が優っていた。

 そして、やがて座薬が効いたせいか、私は深い眠りに落ちていった。

 どれぐらい眠っていたのか定かではないが、目が覚めるとまた激痛が走る。

 それを打ち消すように私はぼんやりした小説のことを考えていた。

 自分の思い出す限りの一文を一つずつ頭に浮かべる。

 次にそれを書いた作家が誰だったのか、題名は何だったのか、思い出そうとするが、

 なかなか、それが一致しない。

 私は手術を受ける前に全身麻酔を受けることが怖くて仕方が無かった。

 それには理由がある。亡くなった父が頭の手術を受けて麻酔が切れた途端に、

 おかしなことを言い出したことを知っているからだ。

 だから痛みに耐えながら自分の記憶や知識がなくなっていないか確かめていたのだ。

 この文章は誰が書いていたんだっけ?作家名が浮かばないと思ったら、

 自分が書いたものだったり、作品名が浮かばないと思ったら、

 新聞で読んだエッセイだったり、私が焦れば焦るほど思い出せなかった。

 そして、それさえ頭に浮かばないほどの激痛が走った頃、

 部屋に看護師がやって来て、「ちょっと起きてみます?」と言うので、

 背もたれを少し動かせてもらい、少し水を飲ませてもらった。

 そのまま、足を曲げると痛みが少しなくなった気がした。

 一人になってから窓の外を眺めた。

 個室も9階だったが、西向きなので空が少しずつ茜色に染まり始めていた。

 「もう夕方なんだな・・」と心の中でつぶやく。

 その時、執刀医が入って来て「手術はうまくいきましたからね」と笑いながら言った。

 「ちょっと血圧が上がったけれど、綺麗に取れましたから・・」

 すごく簡単に言われて拍子抜けする。

 いつも私の血圧は低く、90-60なのに、180-90まで上がってたと聞かされた。

 「痛かったら看護師に言って座薬か注射してもらって・・」

 と、医師は軽く言って部屋を出て行った。

 その日は絶食で外が暗くなってから血圧を計りに来た看護師に、

 痛み止めの注射を打ってもらってから、起き上がる練習をした。

 自分で電動リモコンを使ってベッドを起こし、身体を横向きにしてから足を降ろし、

 手すりに掴まって起き上がれた時は嬉しかった。

 そのまま点滴のぶら下がったポールを持ってトイレに行った。

 水分は採っていないが点滴をずっと受けているので、その夜は五回ほど立った。

 ようやく私の長かった一日は終わった。

 生まれて初めての全身麻酔に、体にメスを入れられる体験。

 きっとあくる朝目覚めたら痛みはすっかりとは言わなくてもマシになっているだろう・・

 そんな風に思いながら目を閉じたが、それが甘かったことを明け方に

 私は知ることになる。                                     続く

 

 

 

 

 

2014年2月 3日 (月)

さらば、虫垂炎 その2 手術当日

 手術の当日は朝の六時半に看護師に起こされた。

 部屋は東に向かって大きな窓が四枚、四人部屋の病室でなかったら、

 まるでオーシャンビューのような眺めのいい部屋だった。

 私は日の出なんか見るのは何年ぶりだろう?と場違いなことを考えながら、

 窓辺に立ち朝日を眺めた。

 公立の病院だが最近建て替えたばかりで、しかも九階。

 橋の袂の東側には大きな橋があり、海に向かってもう一本の橋が見えた。

 手術前でなかったらもっとこの景色を楽しむことができるのだろうか?

 それとも美しい景色を見るのはこれが最後だろうか?などと考えた。

 朝日がすっかり姿を現した頃、前の晩に飲んだ下剤が効いてきてトイレに行く。

 ベッドに帰って来て持ち込んだ本を読むがさっぱり頭に入らない。

 前の晩に下剤を渡される時におへその掃除をしてもらったことを思い出す。

 子供の頃、祖母におへそを触るとお腹が痛くなると言われたが、

 おへその中に綿棒を突っ込まれて掃除された時は痛くて飛び上がりそうになった。

 掃除の後、剃毛も受けたがやっぱりバイ菌が入らないように綺麗にするのだろうか?

 そんなことを考えていたら手術の時に着る前開きの服と紙パンツを、

 看護師が持って来て、その時に入院前に用意したバスタオルや寝巻きや紙おむつに

 シールを貼りながら、「八時半までには着替えておいてくださいね」と言われる。

 しばらくして執刀医が来て、詳しい手術内容を聞く。

 手術時間は約一時間であること、そして、そこでようやく、

 内視鏡はへそから入れることになっていることを知らされた。

 私は小さな穴を二つと大きな穴を一つ開けると信じ込んでいたので大いに驚いた。

 けれど、もう俎の鯉状態である。今更、どうすることもできないと腹をくくった。

 やがて九時五分前が来て、看護師と一緒にエレベーターに乗って4階の手術室に。

 「よく眠れましたか?」と訊かれたので「睡眠誘導剤を飲みましたから」と答えた。

 手術室の入口で手首に巻いたバーコードをチェックされ氏名を名乗る。

 中に入ったら幅の狭いベッドがあり、そこに横たわる。

 足には血栓予防の足裏マッサージ器のようなものを装着され、

 腕に普通の注射針よりも太くて長い点滴の針を突き刺され、

 口に人工呼吸器を取り付けられる。

 点滴の液が体内に入った途端に焦点が合わなくなった。

 そして「麻酔薬が入りますからね」と言われた途端、私は意識を失い、

 「終わりましたよ、起きてください」と言われるまで夢も見ずに眠っていた。

 全身麻酔からさめたらそこには文字通り悶絶するような痛みが待っていた。 続く

 

 

2014年2月 2日 (日)

さらば、虫垂炎 その1 手術当日まで

 今年、1月5日の昼過ぎのことだった。

 いきなり胃の辺りに激痛が走り、胃薬を飲んだが治まらない。

 しばらくは我慢していたが、吐き気までしてきたので病院に向かった。

 途中で気を失いかけたが、何とかかかりつけの病院にたどり着く。

 検査の結果、ウイルス性の胃腸炎だと診断された。

 点滴を受けたが吐き気は止まらず、胃腸の動きを止める注射を打ってもらい、

 ようやく起き上がれるようになったので、その日は家に帰った。

 ところが、あくる朝になったら右の下腹部が痛くなった。

 「ああ、また盲腸に炎症が起きたんだ」そう思って、

 いつも虫垂炎になったら行く公立の病院に行き、抗生物質の点滴で散らしてもらった。

 医師がカルテを見ながら言う。

 「2009年から何度も虫垂炎になってるのに、猫がいるとか、一人暮らしだからだとか、

  理由をつけては手術を受けずに散らしてますね。もう切りましょう」

 実に5年間で8回も私は手術が怖くて逃げ帰っていたのだった。

 そこで、決心した。思い切って手術を受けることを。

 その日のうちに手術の為の検査を受け、一週間後、炎症が治まった頃に

 もう一度来院するように言われ、家に帰った。

 そして、一週間後、手術の日が決まった。それが20日。

 検査を先に受けたので、27日に入院して28日に切ると言う。

 それからの一週間は長かった。

 私は猫を何匹も飼っているし一人暮らしなので退院後のことも考えなければならない。

 お腹の手術だから重い物は持てないだろう。

 灯油もしばらく買わなくていいように、または猫の餌も買いに行かずに済むように、

 いろんなものを買い込むことにした。

 その上、仕事もいつ再開できるかわからないので片付けておかなければならない。

 私は臆病者なので最悪の状態を考える癖がある。

 最悪のことを考えておけば、それ以上の悪いことは起きないだろうと思っているのだ。

 物事をいいように考えていて、そうじゃなかった場合に落ち込むのが怖いのだ。

 その上、私はネットで虫垂炎の手術を受けた人のブログを検索し読みあさった。

 医師には腹腔鏡を使った手術だと言われていたので、

 検索ワードに「虫垂炎・腹腔鏡手術」と書き込み、30人くらいの人の体験を読んだ。

 お腹に三ヶ所穴を開けて腹腔鏡を大きな穴から通す手術のことを検索したのだが、

 結局、それを読んでも自分の不安を煽るだけで

 何の意味もないことだということを知ったのは、

 実に28日、手術当日の朝だったのだが・・・。                 続く

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