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2016年10月30日 (日)

超短編小説「唇」

 私は今、総合病院の内科の待合室にいて前に座った女の唇を見ている。

 よく動く唇。
 女の話は息子の嫁の悪口から孫の自慢に移り、
 まったく興味の持てない私は心の中で「知らんがな」と毒づきながら
 女の唇を眺めている。
 還暦過ぎの女、私とは同世代だろう。
 パーマのかかった短めの髪はぱさぱさしていて艶がなく
 着ているものは派手な色遣いのチュニックとスパッツ。
 上着がチェック模様なのだからスパッツは無地にした方がいいんじゃないか・・
 と、思うのだが、スパッツはヒョウ柄である。
 さっき、前に座った女を見た瞬間に「私とはセンスが合わないな」と思ったのだが、
 なかなかどうして人間の第六感も侮れない。

 私が黙っているのをいいことに女は喋り続けている。
 くだらない話。
 そんなことよりも私は早く主治医に会い、検査結果を聞きたくて気もそぞろだった。
 
 なんでこんな女に話しかけられるようなことになったのかと言えば、
 MRI室から私が出て来ようとした時に女が入れ違いに入って来て、
 「バッグ置いていませんでしたか?」
 と、大声で技師に話しかけていた時に目が合ったのだ。
 私はその声を背中で聞き流し二階にある内科の待合室に向かい
 受付に診察票を渡したのだが、その女もまたここに来て、
 空席はたくさんあるというのにわざわざ私の目の前に座ったのだ。

 「バッグ忘れちゃって・・」
 そういう女に仕方がなく頷いてみせたのが運の尽きだったようだ。
 検査を受けるくらいだろうから病人なのだろうが、
 彼女の話ぶりは病という言葉からは程遠く、
 まるでマシンガンのようにしゃべり続けている。
 普段、人と話すことなど皆無の生活を送っている私には
 物珍しいというよりも滑稽に見える。

 どこの誰かもわからない人間に息子の自慢、嫁の悪口、孫の自慢をするなんて
 私には考えられないが、
 どこの誰かもわからない相手だからこそ
 自分の思いをぶちまけられるのかも知れない。
 私には到底できないことだけど。
 それにしてもよく動く唇だ。
 まるで生き物のように動いている。
 私は興味のない話は耳に入って来ない質なので、ただ唇だけを眺めている。

 診察室の入り口の横にある掲示板に私の受付番号がようやく点り、
 私は女に「じゃあ、順番が来たので・・」と話を遮って席を立った。
 その時の彼女はぽっかり口を開け、
 まるで、おもちゃを取り上げられた子供のような表情を浮かべた。

 診察室で医師に結果を聞き、そこを出た私は女の方を見ないようにして、
 そそくさとそこを立ち去ったのだった。

 私もあのまま主婦を続けていたら、
 ああいう一番なりたくない女になっていただろうか?
 少しだけそんな思いが過ったが、
 「いや、絶対にないな」と慌てて打ち消したのだった。
 

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