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純文学

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2016年9月10日 (土)

閑話休題「紙芝居」

 世の中は広いようで狭い。

 祖父の描いた紙芝居を見たことのある人と会う機会があった。
 私が生まれる前、実に60年以上前に見ていたそうだ。

 祖父の描いた紙芝居が孫である私以外の人の思い出に残っていることが
 私には嬉しかった。
 私も頑張らないとな、と思った。 
 誰かの心に残る作品を書きたいものだと心から思う。

 祖父は人から見れば偏屈でちょっと変わり者だったと思うが、
 私が小学生の頃から作文や標語で賞を貰ったりするととても喜んで
 それが載った新聞記事をスクラップブックにして残してくれていた、
 孫の私は直接褒めてもらったことなど一度もないが、
 きっと自分と同じようなことをしたがる孫が入賞するのが嬉しかったのだろう。
 私が祖父の紙芝居のことを知ってる人に話を聞いて誇らしいように。

 じいちゃん、よかったね。
 じいちゃんが描いた紙芝居はちゃんと誰かの心に届いていたよ。

 さて、先日、芥川賞の発表があった。
 さっそく「文藝春秋」を買って読んだ、「コンビニ人間」
 読んで、ああ、わかる・・と思った。

 主人公の私は少し人と変わってる、変わってると言うよりも
 まわりの人間に「ヘン」だと思われている。
 けれど、自分のヘンなところがわからない。
 わからないけれど、取り敢えず生活を維持するために普通のふりをする。
 けれど普通が何かわからないから周りの人の喋り方や笑い方を真似する。
 自分が普通だと思っている人は当たり前のように「変わった人」を質問攻めにする。
 訊いても当然でしょ?という態度で質問される。

 うん、なるほど、私も経験があるからわかる、
 私は人に質問されることよりも、何でそういうことを訊くのだろう?と
 不思議に思うからだ。
 普通じゃないとか、ヘンだと言われても、
 私は私でしかなく、他の誰にもなれないし、
 これを説明するには原稿用紙が何百枚あっても足りない。

 時々、表現者仲間である墨絵師とメールでやり取りをするけれど、
 普通はこんなこと書いたらドン引きされるかな?と思うようなことが
 私たちの間では常識だったりする。
 人の顔色を窺って普通の暮らしを送っていた頃は苦しかった。
 生活は安定していたけれど、精神的に疲れていた気がする。
 けれど、今は好きなだけ書く(描く)ことが出来る。
 こういうことは誰かと一緒に暮らしていて出来ることではないと私たちは知っている。

 きっと私は十六魂なのだろう。
 肉体は還暦が近づいて衰えてきたけれど、心は十六のまま。
 もちろん、経験を経た分、狡猾にはなったかもしれないが、
 十六の頃の純粋さも未だ持っている。
 純粋さと狡猾さは正反対のものだけど
 その両方を持っていなければ小説を書いたり絵を描いたり出来ないと思うのだけど。
 
 人は人を救えない・・私はそう思っている。
 でも、人が紡ぐ言葉は誰かを救う手助けにはなるかも知れないと、
 私は今日もペンを走らせている。

 昨日の朝から昔遭った交通事故の後遺症のせいなのかどうかはわからないが
 左腕と右手の指先が痺れてペンが持ちにくい。
 それでも休まずに書き続けたいと思っている。
 誰かの心に残る作品に一歩でも近づきたくて。
 
 

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コメント

こんにちは🌸
しびれは無視しないほうがいいかもしれません。
脳の病気だった場合、命にかかわります。

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